【年少5月】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

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【年少4月】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

ここから時々出てくる「松島」とは、父の実家の地域名称です。伯父夫婦を「松島のおじちゃん」「松島のおばちゃん」と呼んでました。

伯父夫婦と母と私

昭和48年5月1日

保「今日より黒いゴムをつけました」

昭和48年5月2日

母「鉄棒を注文いたしますので、領収袋をお願いいたします」

保「わかりました」

昭和48年5月8日

保「紅白帽子を渡しましたので、黒丸の位置へ消えない方法(ぬいとり)て名前をつけて下さい、お願いします。

出来上がりましたら持たせて下さい。ノートについていました黒ゴムは、お家の方にありましたでしょうか?」

昭和48年5月10日

母「遊び着代、820円、いただきました。」

昭和48年5月14日

母「母の日のプレゼント、ありがとうございました。”お母さんありがとう、これはお母さんの顔です”と言って、リボンを首にかけてくれました時、思いがけないプレゼントでびっりしました。

成長過程が目に見えて伺う事が出来るようになり、涙が出るほど嬉しく思いました。よろしくお願いいたします。」

保「描く内容は、大変簡単ですが、自分の持っているもの全部を出して描き、お母さんにあげるのだ、と楽しそうに作っていました。

鉄棒が来ましたので、都合が良い時にどうぞ」

昭和48年5月18日

保「黒いゴムを、お家に方にありますでしょうか」

母「鉄棒いただきました、ありがとうございます。

黒いゴムの件、この前もそうでしたが、かばんの中に入っていました。ミホが取ってしまうのでしょうか。

本人にもよく言い聞かせますが、よろしくお願いいたします」

保「ゴム、ありがとうございました」

昭和48年5月24日

母「遠足の件、松島の義伯母に行っていただくことに決めましたので、よろしくお願いいたします。

保「遠足の件、わかりました」

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黒いゴムがよっぽど大事なのか…先生からの連絡が只々ありました。

この頃からすこーしずつ、連絡帳ではなく母の「日記」のニオイが…

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