【プロローグ2】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

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【プロローグ】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

叔母(母の妹)が書いた随筆、この続きはあと原稿用紙3枚にも綴られていて…

要約すると、生前の私の両親のことだった。

・父は体が弱く、結婚前は7年間闘病生活

・晩婚夫婦

・家を建てたが、父は自分が早くに逝ってしまっても良いように、ローンなしで、間取りもいずれ賃貸でお金が発生できるような小さな家を建てた

・私が生まれてからは、安全のためにブロック塀を作った

そして、ここでびっくりするのが…父は結婚して8年でこの世を去るが、その間に

・マイホームを建てる

・子どもを授かる

・墓地を購入

・自動車免許を取得

・車を購入

・国家試験(土地家屋調査士)を突破

・会社員から独立、建築設計事務所を構える

これだけのことを8年で達成!

ここから読み取れるのは、仕事も家庭も全盛期に父は亡くなったってこと。

「短命にして、求めるべきものをすべて求めることができた人生」

と、叔母は綴っている。

父が亡くなった後、幼い私を母親が育てるのは大変だろうということで

「ミホちゃんを里子に出したらどうか」という案もあったらしいが

「家のローンもないし、母子年金もいただけるので大丈夫です」

と、母は私を手放さなかった。

そして、母は私が保育園に入るまでの1年半は、口利きでよその土地家屋調査士のアシスタントにつき(のちに水道会社に事務員として就職)

昭和48年4月…当時としては珍しい「3年保育」で、預かってもらう父の実家(松島地区)に近い保育園に入園

そう、連絡帳のやりとりが始まるのである。

昭和48年4月5日

母「11時30分に迎えに行ってくださる親類の〇〇〇子が歯医者に行く日なので、もしすれば30分遅れてしまうかもしれません。12時までには行ってくれるとのことなので、お願いいたします

保「わかりました」

昭和48年4月7日

保「肩章その他、160円いただきました」

ということで、次回から

「大黒柱を突然失った母1人子1人奮闘1095日」スタート、です。

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