感激された弔電

もともと私の父は、体が弱かった…昭和46年(1971年)10月に風邪をこじらせ、そのまま亡くなった、享年46歳。

晩婚夫婦の子どもだったので、私、いとこたちとは年が離れている。

先日、従兄弟(父の兄の次男)77歳が亡くなった。

疎遠だった従兄弟からの連絡

疎遠だが年賀状のやりとりはあったので、私は弔電を打った。

早くに父を亡くした(1歳10ヶ月)私は、小学校に上がるまで母がフルタイムで働いていたため

保育園が終わると従兄弟の家である「父の実家」に帰っていった。(母は仕事が終わると私を迎えにきた)

そう、伯父夫婦に面倒を見てもらっていたのだ。

実家にて生後数ヶ月の私と伯父夫婦と母:父がカメラマン

従兄弟とは20歳ぐらい離れているので、夜に従兄弟が会社から帰ってきても、まだ預けられている幼い私がいると

「お母さん、まだ迎えに来ねえのか」と言いながら、相手をしてくれたのを覚えている。

夫は「何もしなくて良いって言われてるなら、弔電(を打たなくて)もいいんじゃない?」と言ったが

伯父夫婦はすでに他界しているので、私は「幼い頃、捻くれずに育ったこと」に

感謝の意味も込めて、定型文ではなく自分の言葉で弔電を打ちたかった。

参考にしたのは、昨年11月に叔母(母の弟の妻)が亡くなった時、葬儀に参列できなかった東京在住の従兄弟が打った弔電。

要約すると

・お悔やみ申し上げます

・幼い頃からお世話になっている

・昨年会った時は元気だったことを思い出し

・生前の人柄を懐かしく思う

・今日は参列できず申し訳ないけど、心から哀悼

・悲しみでみなさんも力を落とされないように

文字数の関係もあり、すべて真似したワケではないが、私は「松島の家」というのをどうしても入れたかった。

松島、とは地域の名前。

亡くなった従兄弟の奥さんは、私が預けられていた時期と1年ほど生活が重なる。

なので、「幼い頃、松島の家でお世話になった」が通じて、私が弔電を通じて感謝していることが伝わってくれれば…

ということで、弔電の全文

(下書き)

そして、従兄弟の葬儀が終わった日の夜、私のスマホが鳴り、画面を見たら再び従兄弟の名前が出た。

奥さんから

「今日、無事にお葬式が終わったの。そして、弔電もありがとう!こんなこと言って良いのかわからないけど、素敵な弔電で感激しちゃったわ。」

と。

あぁ、私の気持ちが通じた😮‍💨

「あ、母方の従兄弟の弔電をマネしたんですぅぅ」

なんてことは口が裂けても言えず(笑)

「私、松島の家で育ったと言っても過言ではなく、良くしてもらったのでいい思い出しかないので弔電を…」

という話をしていたら、近況報告も兼ねて20分近く喋っていた。

「松本に来たら、松島に寄ってね。この辺、ミホちゃんがいた頃とはガラッと変わっちゃったけど、家は建て直しせず、ずっとあのままだから」

お互い「元気でね」と電話を切ったが、本当にこれで父方の親戚のお付き合いは終わった。

続けようと思えば続けられるが、私の中では一区切り。

疎遠だったので「フェードアウト」も良かったが、近況も話せて納得の終わり方だったと思う。

人が亡くなることは悲しいが、それにより、また新しい関係がどこかで生まれる。

「肉体は滅びても魂は残る」

と私が思うのは、そんなところから。

弔電を打って良かった。

新年早々の訃報にびっくりしたが、私が背負っていたものが一つ減って、身軽でスタートできそう…なのである。

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