【年長6月②】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日】

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【年長6月①】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

どうやら母の連絡帳は、先生の楽しみになっている様で…母の筆も進みます。

昭和50年6月21日

母「昨日は車で送って下さった由、ほんとにありがとうございました。雨もやみ、雷はなかったので松島のおばちゃんの所へ“今日は迎えが必要だろうかね“と電話した所、“島内の方もやんでいるから大丈夫じゃないか“という事で迎えに出なかったのです。

ミホに此の頃わがままな所が見え出したあらわれではないかと思い、今朝は“先生、わがまま言ってすみませんでした“とあやまる様に言ってありますから、あやまらせて下さいませ。お疲れの所をほんとにすみせんでした。

ミホにはお琴を、主人が生きている頃に私は生花を(準師範までとってあるので)、その希望(習って楽しみたいと)を持っておりますので、家では私などは20年前の衣服をまとい、ボロを平気で着て生活しているので、ミホに

“お母さん、今日ね、塚田君のお母さんや飯沼君はお母さんが、うんときれいになって保育園に来たよ。今度お母さんもスカートをはいて来た方が美人に見えるから“と言うので

私“あぁ、役員会があったのね、じゃあ今度は作業服で行かずに、お母さんの服で行くからね“と約束しました。

つづく…

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この連絡帳を書いた日は何曜日だったのか?と思い、調べたら土曜日でした。とにかく、連絡帳の域を超えて長いので「明日は日曜日でお休みだから」…夜の執筆活動が捗ったのでしょう。

【年長6月③】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

 

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