【年長5月④】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

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【年長5月③】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

この話は50年前のこと…今回は降園時のやりとり、今では考えられないことが…特例とはいえ「1人で帰らせて下さい」と!

昭和50年5月17日

保「ぐずついた天気がつづきますね。登降園の際の送迎の件ですが、降園時に、直接保護者の方に子どもさんを引き渡すか

もし、都合でお迎えに見えない場合は依頼される方のお名前と、一切の責任の有無のことを明確にお書きになって出していただくになりましたので、お願いいたします。

ミホちゃんの場合は、1人で帰して欲しいということでしたから、そのようにお書きくださいませ。

ご足労をおかけいたしますが、お願いいたします」

昭和50年5月19日

母「降園の件、いつもご心配をかけて申し訳ございません。ご近所の方は皆、自転車迎えですのでお願いできませんので、ミホ1人で帰らせて下さいませ。

帰りが遅い時は電話が来るので見回りに私がとんで行く事もありますのが、道草はしない様、言ってありますので、よろしくお願いいたします。

責任は私ども電話で連絡し合い、親類の者と話し合っておりますので、一切私どもにありますのでよろしくお願いいたします」

保「承知いたしました、ありがとうございました」

・・・・・・・・・・・・・

保育園から預かってもらってる松島の家までだいたい700メートル…5歳児が歩くと20〜30分ぐらいでしょうか。

母も「1人で帰らせる」とは、すごい決断をしたものだと思います。のちに「母の葛藤と心配と願い」がこの連絡帳に“握手のぬくもりの消えぬ間に“という題名で登場します。(10月)

【年長5月⑤】突然大黒柱を失った母1人子1人奮闘1095日

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